74年前の今日 8月15日は終戦記念日ですね。平和な 現代を生きられる幸せと感謝を噛みしめている
学芸大学 にあるシェービング&エステサロン グランツ の石井さとみです。
今年 息子の夏休みの読書感想文に
【
ぼくは満員電車で原爆を浴びた】を読んでもらうことにしました。
これ↑
私は小さい時から、ノンフィクションや一部内容脚色されたこういった本を読んでいました。
息子にも 知ってもらいたい大事なことと捉えていたので、今回はコレを贈呈!
さて、今日 ブログにしたい内容はNHKのドキュメンタリーから
みなさん 見ましたか?
忘れらた「ひろしま」 ↓↓↓
ドキュメンタリー冒頭に有名 映画監督 オリバーストーンが
映画【 ひろしま 】という作品を絶賛していました
オリバーストーン監督は6年前にこの作品を知り 衝撃を受けたそうです
原爆投下から8年後に映画製作された作品
心身ともにまだまだ、辛いさなかにこの作品に出られた市民の気持ちは
どんなものだったんだろう・・・と思いを巡らせてしまう。
徹底した細かい再現描写をしていて、エキストラとして
実際に被爆した人達も多く参加
映画製作に参加した広島市民は総勢8万8,000人
驚きの数字です・・・
現代に生まれた私たちには想像もできない体験をしたにもかかわらず
きっと 戦争の悲惨さ 原爆の悲惨さを広く知ってもらいたいという思いで参加したのかな。
ドキュメンタリーでも言っていた。
この映画のきっかけになった作品
1951年に被爆した少年少女達の手記【
原爆の子 】から
市民の思い・子供たちの未来の為
戦争の悲惨さ 原爆の恐ろしさを広く知ってもらいたい
この趣旨に賛同し、大手映画会社 のちに名をはせる監督達が多く集まり製作
さらに
大女優 月丘夢路さんもこれに賛同
映画会社の反対を押し切り 無償で出演
この時
製作費をカンパで募り
1人50円を呼びかけ総額4,000万円が集まった!
現在の貨幣価値で 2億5,000万円 ('Д')!!
どれだけの人がこの映画に思いを寄せていたのかが、金額を見ても分かりますね。
平和を祈る気持ち
普通の日常が幸せだという思い
何度も書きますが、戦争がもたらす悲惨さを知ってもらいたいという思い
この莫大な製作費で
映画のセットは忠実に再現
20軒以上の建物を23箇所にも作ったんですって
そして
これらセットに使われた細かい備品の多くは、
市民達が持参し持ち寄った 被爆した衣服 日用品 瓦礫だったそう
自分たちが目をそらしたい物品さえ提供し作られた映画
「 ひろしま 」
しかし、
この映画は日本で 広く知られることも無く 現在まできたと
これは、
当時 戦後の日本の状況や世界情勢の変化などがあり 映画の配給がしづらくなったから
でもその後 何十年と経ってから
この作品に携わった監督補佐の息子さんが『見て知ってもらいたい』と自主上映の動きをし
父の働きを息子が受け継ぎ 活動を続けているそうです
(左側:お父さま 右側:意思を継いだ息子さん)
日本で大勢に見てほしい・知ってもらいたい思いとは
うらはらに、
映画のフィルムの劣化で
デジタル化を進めないといけない状態になってきたときに
アメリカにいる日本人から デジタル化をする力になれないかと声がかかり
尽力した人が、この方↓↓↓
Facebookでたまたま目にしたこのページがきっかけ。
↓↓↓
SNSの力って、すごい!!!!!
発信していたら、必ず誰か目的とするターゲットに繋がるツール (*'▽')
そこから、
北米で大手の
古い映画をネット配信している会社が、デジタル化の資金を提供してくれ
デジタル化ができたそうです☆彡
今でも、日本では年間10館ほどで上映されながら
北米 ヨーロッパ アジアなど世界10カ国でも上映
今後も続々と世界で公開が続いている。
世界で公開され、共感する人々がたくさんいるって
およそ70年前に製作され貴重な遺産・願いとして語り継ぐ作品になってるんだな
と、稚拙な言葉になってしまいますが
このドキュメンタリーを通して 改めて当時 生き抜いてくれた
方々が偉大なのか 感謝しかないです。
小学生の頃に 大正生まれの祖母から
「戦争のときどうだった?」と聞いたことがあり
幸いにも 祖母の地域は被害が小さかったと伝え聞きました
それでも、上空をB29が飛んでいたというのだから
『おばあちゃん生き抜いてくれて ありがとう。』と幼いながらに思いました
最後に
この度、
NHKで8月17日0:00〜 作品が放送されるそうです
ご覧になってみてはどうでしょう?